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特例子会社勤務の自宅療養中OLが社会復帰に向けて日々を綴るブログです。

「障害」とはそもそもなんなのか、一考。

障害者、健常者という言葉があります。

言葉というのは不思議なもので、言葉が生まれればそこに一つの線が引かれ、ここから向こうは障害者、こちら側は健常者というように人々のまとまりを分断します。

もっとわかりやすいのは障害者手帳というもので、これを役所からもらい「あなたは障害者です!」という刻印を押された瞬間から、確実に私は健常者ではなくなってしまう。

でも本来、国からおまえは障害者だ、という刻印を押されていなくたって、怪我や病気で苦しんでいる人達は山ほどおり、私は一応障害者ということになっていますが、いやいやあなたの病気や怪我の方がよっぽど日常生活に困難をきたしているんだから障害でしょう、私なんて薬さえ飲んでれば別にそこまでしんどくないで、という例がままあったりする。

でも私は事実上「障害者」というくくりになり、それに応じた公・民のサービスを受けることができる。

障害とはそもそもどういう意味なのでしょう。

Wikipediaによれば、「障害(しょうがい)とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもののことである。」とあります。(広辞苑とか引けって話ですねすみません)。

ものごとの達成や進行のさまたげとなるような傷病って、世の中にごまんとあると思います。簡単に言えば、酷い偏頭痛持ちで毎日仕事に差し支えるほどだけど痛み止めで騙し騙し仕事をしている人だって、障害を持ってると言えると私は思う。そういう人って、世の中にいっぱいいると思うんです。

だけど、精神や身体のある一定の病は障害認定されれば「障害者」扱いになる。

明確な疾病(耳がほとんど聞こえないとか、身体欠損があるとか)がある人が障害を持った人として扱われるのは理解できるし、そういう人はしかるべき援助や支援を受けて少しでも快適に生活を送ってほしいと思う。

ただ、精神系の障害を持った人達とこの2年ほどで結構な人数関わってきましたが、一見すると障害者だとはわからないような人がたくさんいます。

そういう人達に必要な援助があれば、もちろんそれは必要だと思うし、そのための国からの刻印だと思う一方で、この人って確かに薬が必要かもしれないけれど、障害者なのかなあ?とよくわからなくなることもあります。(自分も普通にしていたら障害を持ってるとはまず思われないし、カミングアウトするとびっくりされることが多いです)。

 

健常者と障害者ということばのあわい(あいだ)にあるような状態こそ、人間の本来の姿だと思う、というのが私の考えです。